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     遥かなる美の国    Z(ぜっと)

 

  『遥かなる美の国』という小説の題名を思い出した。

小説の内容もはっきりしないけど、その題名が好きだった。

 

ぼくは最近、つくづく、『美』には、人間の魂や心や人生を、

永遠に救い、守護してくれる、偉大な力があると思えてならない。

 

生きているということは、つまりこの人生というものは『遥かなる

美の国』への、永遠に続く、魂の旅なのだと、ぼくには思えてくる

 

『遥かなる美の国』を書いた高橋和巳氏は、1960年代の代表的

な作家であった。1967年に京都大学、中国文学の助教授となり

1969年の京大闘争では全共闘支持を表明したという。

当時は若者たちを中心に、何が正義かを模索した時代だったのか。

高橋和巳氏もまた正しい観念や思想を探し求めていたのだろうか。

 

あの時代の一部の人たちは、マルクス主義などのイデオロギー

(思想の体系)が社会や人を良くする正義と信じていたようだ。

 

現在は、どこに正義があり悪があるのか、何を信じたら良いのかと

、人の価値観や個性も多様化が進み、混迷の時代といった様相を感

じる。しかし、自由の本質とは、こんな混沌な状況や姿のことかも

しれない。

 

いつの時代も人々は、美しいものを求めて、そこに価値を見つける

。その美意識は、人それぞれに多様であり、人生の大事な憩いとな

る。

 

「快適で、安楽で、美しく、静謐(せいひつ)で、楽しく、また洗

練と成長のある空間。そういう『聖域(せいいき)』を作り出し、

そこで精神を思い切り遊ばせることが、贅沢の本質なのだ。(中略)

贅沢を楽しむというのは、美意識がなくてはできない。」

(福田和也氏の言葉から)

 

・・・「美」について考えることは、意外と難しいことでしょう。

 

「主観が、主観に直接問いたずねること、また、精神の自己反省は

危険なことである。」

(ニーチェの言葉から)

 

・・・たとえば、あなたは、どんな美しさを大切にしていますか。

 

「美しいものは、諸君を黙(だま)らせます。美には、人を沈黙さ

せる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質

です。

 

(中略)

 

美しいと思うことは、物の美しさを感じることです。美を求める心

とは、物の美しさを求める心です。

(中略)

一輪の花の美しさをよくよく感ずるということは、むずかしいこと

だ。かりにそれはやさしいことだとしても、人間の美しさ、りっぱ

さを感ずることは、やさしいことではありますまい。」

(小林秀雄氏の言葉より)

 

・・・本当は、「美」の力のすばらしさを人々に伝えることが、芸

術や宗教や政治や経済の役目であり目的なのだと思えてくる。

 

ロシアの文豪、ドストエフスキーの『白痴(はくち)』は、哀愁あ

ふれる一種の恋愛小説で、「美」を重要なテーマとしています。

 

高橋和巳氏が心酔していた戦後文学の埴谷雄高氏は、ドストエフス

キーへの傾倒や、その天才的な洞察力の深さなどへの感銘を書きあ

らわしている。

 

「アグラーヤの妹のアデライーダは、ナスターシャの写真を見て、

『こういう美は力ですわ。こんな美があったら、世界じゅうを

ひっくり返すことができるわ!』といった。またムイシュキン公爵

も『美は世界を救う』という思想を表白(ひょうはく)している。」

(米川正夫氏の言葉から)

 

・・・『遙かなる美の国』は、1971年に執筆された、高橋和巳

氏の未完に終った遺稿の題名であった。

 

・・・あの熱病のような時代の風にさらされることがなければ、心優

しい詩人の資質を持っていたはずの高橋氏は、きっと、もっと明るく

楽しく美しい人生を選択できたはずであっただろう。

 

『遙かなる美の国』という言葉には、高橋氏のそんな希求がこめられ

ているような気がしてくる。

 

「苦悩に満ちた自己否定を重ねていた全共闘運動に、時代は熱っぽ

く昂揚(こうよう)していた。『その政治抗争の見事な網の目にく

りこまれていること』に懐疑し、困惑しながらも、《若き全共闘の

アイドル》たる高橋和巳は、だが、その受難と疲労の中で、己(お

のれ)を最後の最後まで潔(いさぎよ)く律(りっ)し、傲然(ご

うぜん)と咲き誇るべき志ある《壮士(そうし)》そのものであろ

うとしていた。・・・高橋和巳、1971年(昭和46年)5月3

日、逝去(せいきょ)。享年(きょうねん)39歳であった。」

 

(大田代志朗氏の言葉より)

 

 

 

【資料】

価値ある人生のために・福田和也氏著

人生論読本・小林秀雄氏著・角川書店

ドストエフスキー研究・米川正夫氏著・河出書房新社

内省と遡行・柄谷行人氏著・講談社学術文庫

高橋和巳短編集・高橋和巳著・阿部出版

 

(注釈)

表白=表わし述べること。

傲然=おごり高ぶって尊大に振る舞うさま。

壮士=血気(けっき)盛んな若者。壮年の男子。