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(更新・2014・1・18)

 

  (解説)  僕の気に入っている短編小説です。

         400字原稿用紙、32枚の作品。

 

 

  春時雨 ( はるしぐれ )     

 

 

 めぐみに初めて会ったのは、明るい春の日のことだった。ぽたぽた

とあたたかな時雨(しぐれ)が降り落ちてくる日曜日であった。

 

 午後の1時頃に、私はホーム センターに行き、園芸用の3キロ入り

の肥料を2つ買ったりしていた。外へ出ると、突然、ぽたぽたと時雨が

降り始めた。私は少しあわてたが、あわてる必要などないことに気づい

た。クルマはあるし、もし濡(ぬ)れても、あたたかな時雨なのだから。

 

 私は、ビニール袋(ふくろ)にパンパンに詰(つ)まった3キロの

入りの肥料を2つと、野菜や花の種の袋などの入ったビニール袋を、

軽自動車の後部(こうぶ)の荷台に重(かさ)ねるようにして載(の)

せた。ハッチバックのドアが、いつも置(お)きっぱなしの他(ほか)

の荷物と、買ったばかりの肥料のせいで、とうとう完全に閉まらない

状態だった。

 

 どこかアバウトな性格の、よく云(い)えば、細かいことにこだわら

ない私は、ハッチ バックのドアを完全に閉めずに(まあ、いいだろう)と、

次の買い物のために、スーパーマーケットへ向けてクルマを走しらせた。

 

  時雨は春の日差しを浴びて白く輝き美しく、この世のものとは思えない

ほどのやけに美しい雨であった。小粒なのや大粒なのが入り混じった雨で、

明るい上空から、ぽたぽたと断続的に落ちてきていた。

 

 ホームセンター沿いの狭い道を、春の山々などの見える風景を楽しみな

がら、私はゆっくりとクルマを走らせた。その小道を抜けると、片側1車線

の国道の前で、クルマを一時停止させた。

 

 その時だった。私のクルマのすぐ右横には、若い女性が立っていたの

だった。その女性と私は目が合った。私はその時の出来事を、映画のワン

シーンのように鮮明に深く記憶していて、忘れることがない。

 

 その女性は薄いオレンジ色のブラウス風のジャケットと同じ色のワン

ピースを着ていた。そして白い傘をさしていた。クルマのフロントガラス

には、ぽたぽた音を立てて雨のしずくが流ていた。それを払うワイパーの

向こうに、白い傘をさした若い女性が立っているのだった。本当に、なにか

恋愛映画のシーンの主人公に私がなっているようなの気がしたものだった。

 

 その女性には、モデルか女優のような自由な、華麗な雰囲気があった。

そんなどこか現実離れをしているように美しい女性が、確かに私を見つめ

ているのであった。信じられない出来事で夢でも見ているような感じがし

ていた。しかし、それは現実だった。まったく私には見覚えなどもない

女性であった。いくら考えても知人でも友人でもなかった。私の心臓は

高鳴(たかな)っていた。

 

 時間にして何秒ほどであったのか、その女性は微笑みながら私を見つめ

続けていた。私も、声をかけてみたくなるほど、その女性が強烈に気に

なった。しかし「なにかの人違いだろう」と思って、気持ちを落ち着かせた。

そして、国道の向かい側のスーパーマーケットに行くために、目の前の国道を

横切ろうとして、私はアクセルを静かに踏みこんだのだった。

 

 その瞬間、なんということだろうか。急発進でもなかったはずなのに、背後

(はいご)のハッチバックのドアが開(ひら)いてしまったのであった。いき

なり車内には湿(しめ)っぽい外気と雨が入り込んだ。それと同時にドタドタ

と荷物が路上に落ちる音がした。時間が停止したような気がした。というより

、そのショックな出来事(できごと)で、脳の思考が止まった感じだった。

 

 私は運転しながら開(ひら)いてしまったハッチバックの方を振り返えった。

国道の真ん中に荷物が散乱するという最悪の事態になってしまったのだった。

 

「なんというバカなことを・・・」と思った。頭の中は混乱していた。

 

 行き交うクルマは、路上に散乱してしまった3キロ入りの肥料の

ビニール袋や野菜の種の袋などをよけて徐行していく。青いポリバケツ

までが、こっけいな感じで転(ころ)がっている。

 

(この自分の失態を、さっきのすてきな女性も見ているはず・・・)

と私は一瞬思った。とにかくクルマをどこか近くに停車させて、荷物を

かたづけなければと、国道のすぐ脇の駐車場にアバウトに急いでクルマ

を止(と)めたのだった。

 

「なんで、こんなことになるんだろう。アバウトな性格が原因なのか、

やっぱり」と私はそんなおかしなことも考えが、今すべきことはただ

1つ、決まっていた。私はクルマを止めると、肥料や種の袋やバケツを

かたづけるために、私はクルマを飛び出した。

 

 その時だった。・・・自分の目を疑った。なんと、さっきのオレンジの

ワンピースのすらりとした姿の若い女性が、白い傘を足元において、

しゃがんで、3キロもある重い肥料を持ち上げようとしているのであった。

私の手助けをしようとしているのだ。ぽたぽたと降る時雨(しぐれ)に

濡(ぬ)れることも気にせずに。

 

 「どうも、すみません。ありがとうございます。あとは僕がやりますから。

それは僕が持ちますから」と云いながら私はその女性に駆け寄った 彼女が

手をかけている持とうとしている肥料を私は受けとった。

 

「本当にありがとうございます」私はそう云って、周囲の人の目を気に

しながら、私は夢中で、道路に散らばった種の袋やバケツを、クルマの

荷台にかたづけた。

 

 それにしても、なんて心の優しい、しかも美しい女性なのだろう。その

一瞬の出来事の最中に、一目ぼれといってもいいような強い感動を私は

おぼえていた。

 

 その騒動は3分間くらいで終わった。そしてさらに、次に思いもしな

かった出来事が起きたのだった。さっきの薄いオレンジのワンピースの

女性が、優雅に白い傘をさしながら、少女のような愛らしい笑顔で、

私に近づいてきたのだった。胸の鼓動はまた高鳴った。何が起ころうと

してるのだろう・・・と、わけがわからなかった。しかし、 とても

嬉(うれ)しかったことだけは確かだった。

 

「あの、クルマに乗せていただいてもよろしいでしょうか 」と彼女が

云った。

 

「え、ボクのクルマにですか・・・。ええ、どうぞ、どうぞ。さっきは、

どうもありがとうございました」

 

 私は醜態(しゅうたい)をさらしたようで、恥ずかしかったが、この

意外な展開と彼女の言葉に、元気も出てきて、努めて明るく話をした。

 

 彼女は助手席にすわると、手際もよく傘をしまい、ミニタオルで雨に

濡れた髪とかを拭いた。 そのあいだも、私を見つめて彼女は微笑んだ。

涼しい目もとの清楚な感じの女性だった。

 

 上品な よい香りがした。それは人工的な香水などではなかった。

きっと、どこかのお金持ちのお嬢さまなのだ。そんな育ちのよい印象で

あった。軽く染めてる髪は、ほどほどの長さで、くせ毛なのかパーマ

なのか、毛先がかわいらしく跳ね上がっていて、それがよく似合う。

それに、やさしげな横顔には繊細な気品があった。

 

 「思ったほど、雨に濡れなくて良かったですね」と私は云った。

彼女は「ほんとう、濡れなかった。でも春の雨じゃあ、少し濡れても

気持ちいいわ」と云って微笑んだ。

 

 彼女の服を良く見ると、薄いオレンジ色のブラウス風のジャケットと

ワンピースには、淡いピンク色の花の模様があった。

 

 健康的な胸や下肢 (かし)のふくらみが、まぶしくて、私は目の

やり場に困った。それに私は、女性との会話がどうも苦手だった。特に

好きな女性の場合はもっと会話がはずまない。それも困ることだった。

 

「あ、この宇多田ヒカルの『カラーズ』は、わたしも大好きなんです」

 

 彼女は、次々と話題を見つけて、楽しそうに私に話かけてきた。

CDからカセットテープにダビングしたばかりの 流行(やはり)の

『カラーズ』を彼女は気にいってくれた。

 

「そう。ヒカルちゃんは、いいよね」と私は落ちつくのに精一杯だった。

 

「わたしは、めぐみといいます。あなたのことは前から知っているんです」

 

「え、ボクのことを。でもなぜ 」と、ますます気持ちが動転した。

 

「植樹祭に参加したり、ボランティアしたり、植物が好きな和明(かずあき)

さんは、わたしのお友達のあいだではかなり有名なんですよ。ぜひ一度、

お会いしたい、なんていう人もいます 」と云って、めぐみは明るく笑った。

 

「ボクの名前まで知っているなんて・・・、でも嬉(うれ)しいな 」

私は、顔を紅潮(こうちょう)させて、興奮しながらも、このチャンス

をなんとか 生かして、この女性とまじめに交際したいと、心の底から

思った。 この人こそ、私が探し求めていた運命の女性だ・・・。

と、早合点(はやがてん) するクセが、また出ていた。

 

 

 私は、森を ふやそうという ボランティアの 緑化運動に 参加していた。

先日も、100人ほどの子供を 含めた 仲間たちと、檜(ひのき)の

伐採(ばっさい)された国有地に、欅(けやき)や 櫟(くぬぎ)や

山栗(くり)など、20種類ほどの 苗木(なえぎ)を 植樹した。

 

 傾斜する 山肌の 草を刈り、目印(めじるし)のために竹を差していく。

そこに深さと幅30センチほどの穴を掘ってゆき、苗木を植えていく。

始めのころは、馴れない私には厳(きび)しい作業だった。今では、

すっかり馴(な)れたし、体力もついた。

 

  女性や子供も参加しているから、20分間ほどの作業に、10分くらい

の休憩をとりながらマイペースに作業は進める。森の中では、清涼な空気や

樹木 (じゅもく)の 生々(なまなま)しい香り、湿った土や枯葉の匂いに

包まれて、人間と自然がひとつにとけ合うような、そんな幸福感を

私は体験する。

 

 労働に汗も出るけど、大自然と1つにとけ合うような、そんな歓びには、

神聖な祭りのような 陶酔(とうすい)感もある。そんな植樹の作業には、

そんな開放感のせいもあるのか、みんなの明るい声や笑いがあふれる。

 

『地球の温暖化は危機的であり、それは森を失った結果でもある。森を

失うとき私たちも滅亡してしまう。だから、みんなの力で森を守りましょう』

そんな ボランティアの代表の考えに、私は深く共感したのだった。去年の秋

から、旧友といっしょに、年に1回くらい実施する緑化運動に参加している。

 

 私の父は、天井の高さが10メートルもあるビニールハウスの工場を

持ち、その中でさくらんぼを作ったりして 農業をしている。私は去年の

夏に山梨に帰ってきて、いまは父の農業を手伝っている。

 

 高校を卒業するころ、両親は「農業を一緒にやっていこう」と云った

のだが、私は「東京に出たい」とわがままを主張して、親の云うことを

聞かなかった。そして、私は東京に出て、勉強をして仕事をしていた。

しかし、しだいに何のための 勉強なのか。仕事なのか。競争なのか。

と考え込むようになっていた。そう考え込むと私は、嘔吐(おうと)を

 感じてしまうようにすらなっていったのだった。私は自分が社会的な

脱落者になっていく気もした。社会に適応できない性格なのかもしれない

とも悩んだ。

 

 とうとう、去年に勤めていた東京の会社を辞めて、三ヶ月間ほど、

あちらこちらと放浪の旅をするような生活をしていた。

 

 結局、去年の夏、山梨に戻ってきたのだった。お金も底をついたの

だった。結局、親しか頼れないような自分かもしれなかった。しかし、

自然が相手の農業ならば、その仕事がきつくても私でもやっ いける

だろう、とも今度こそは固い決意で思った。

 

 

 めぐみと私は、その春時雨(はるしぐれ)の日に、たちまち恋人同士

のようになった。二人とも植物や小鳥や自然が好きだった。そろいの

ウォーキング ・シューーズを 買って、日に輝く、夕日もきれいな

河川敷(かせんじき)や山道や野原を二人でよく歩いた。それは、時の

立つのも忘れるほどに幸福な時間であった。人間は、花や小鳥や自然に

囲まれて生きることが幸福なのだとつくづくと思う。そんな素朴な私の

考えを、めぐみも大変によく理解してくれるのだった。不思議に思える

ほどに純真なめぐみには、河原の夕日や吹きわたる風、野に咲く花が

よく似合あった。めぐみは自然そのものの、まさに自然の恵(めぐ)み

のような女性であった。 

 

 めぐみは、しぐさや言葉もていねいで、どこかの良家のお嬢さまの

ようだった。多少緊張しながら、めぐみの両親や妹や兄とも電話で話

をしたことがあった。

 

「いつも、めぐみがお世話になっております。今度、機会がありまし

たら、ぜひ 我が家にも 遊びにいらしてください」と、ある日、

めぐみの母は電話で私に云っていた。しかし、いつも、めぐみの

家族は忙しそうな様子なのであった。

 

 めぐみの待ち合わせる場所は、たいがい日当たりのよい高台にある

高級住宅地の近くの、緑の芝と樹木にあふれる広い公園の駐車場の

付近であった。めぐみの家もその近くらしかった。

 

 私が「めぐみの家はどっちなの」と聞くと、めぐみは「あっちの

ほうなの」と少女のように髪を揺らして、いたずらっぽく微笑むのが

常であった。「ああ、あっちね。そのうち、ご両親にもご挨拶しない

とね」と私ものんきなもので、めぐみにそう云って、それ以上は追求

などしなかった。私はめぐみと一緒に時間を過ごせるだけで満足だった。

ほかには何もいらなかった。そんなふうだから、私には今も、めぐみの

家がどこにあるのかわからない。

 

 春の時雨の降る日に出会っためぐみと 私は、自然の中で遊ぶ無垢

(むく)な 子供のように、夏と秋の 日々を 過ごした。 そして、

青空と 白い雲の 輝きの 中にも、どことなく冬の気配を感じる日々が

やって来た。

 

 部屋のベッドの上で、めぐみが私の耳元に、こんなふうに、ささやいた。

 

 「ねえ、和明(かずあき)さんは、東京に住んでいたとき、

病(や)んで弱り切っていた桜の木を、大事に 世話してあげたんで

しょう。今年の春にはね。その桜の木は元気 になって、和明さんの

おかげで、見事な美しい花が咲いたのよ」

 

 「そうか。あの桜の木は元気になったのか。それは良かった。でも、

めぐみは、あの桜の木を見たことがあったっけ・・・」

 

と私は云いながら、私はやけに思考や意識がおぼろな状態になって

いた。一日の農作業の後だったこともあって、心地よい疲労感につつま

れていた。夢の中にいるような気分だった。

 

 出会ってからというもの、いつも、めぐみと私には、ふたつの心と

身体(からだ)が、ひとつになっているような充実があった。特に、

ベッドの中で過ごす時間は、これ以上はないほどに幸福を感じて、

二人とも大好きだった。

 

 そして、あの時だけは、そうじゃなかった。幸福感ではなく不安が

私をつつんでいた。私は、わきおこる奇妙な不安から、いつも私の胸に

頬を寄せるようにして寝(ね)ている 、めぐみの長い髪や細い肩や、

うなじや小さな手や指先までを、いま本当に、めぐみがいるのかと、

両手で確かめようとするのだった。しかし・・・。

 

 めぐみがやさしくささやくように語(かた)ったその桜を、私は

懐かしく思い出していた。その桜の木が、青空に向かって元気に

咲きほこる姿をほのぼのと空想していた。

 

 その桜の木は、私の住むアパートから歩いて3分ほどにある公園に

植えてあった 花びらが可憐な 淡(あわ)いピンク色をした 染井吉野

(そめいよしの)だった。枝先までの高さ3メートルほどで、まだ

若くて植え付けられたばかりのようで、公園の土にまだ馴染(なじ)んで

いないような感じの桜の木であった。

 

 開花時期であるのに元気もなく、淡いピンク色の花々は悲しげだった。

しかし、私の気分を本当にほのぼのとさせてくれる気品のある桜だった。

近づいてその桜をよく見ると、木の肌は ザラザラに荒れていた。酸性雨

や二酸化炭素にやられていて、害虫にも 食べられている状態であった。

 

「助けて下さい。わたしは、すっかり病(や)んで弱っているのです・・・」

 

 あのとき、その桜はそのように私に話しかけたのだった。その声を私は

確かに聞いたのだった。どうせ錯覚というものだろうが、そんなことは、

時々私にはよくあることだった。初めて植物が話す声が聞こえてきた

ときは、精神がおかしくなったかと心配になって、病院へ行こうかとも

思ったほどであった。しかし、植物と会話ができることは楽しいこと

だったし、私に少し感受性が強いから起こる、いわゆる超自然現象なの

だろうと考えるようになっていった。一度だっけ、この現象を友人に

話したこともあったが、笑われて、馬鹿にされるだけだった。それ以来、

たまに植物の声が聞こえることがあっても、もう誰にも話さなくなった。

 

 私は、木や花の育て方に詳しかったので、さっそく害虫の駆除

(くじょ)とか、病気の予防によく効(き)く粒状の農薬を株(かぶ)

もとに散布したりして、しっかりと、その桜の手当てをしてあげた。

 

 「そうだ、あの桜の木のこと。僕はめぐみにもよく話をしたよね。

元気になってくれたのかあ。そうか、今年はきれいに咲いてくれた

んだね。なつかしいな。でも、めぐみが、なんでそんなことを知って

いるの。つまり、その桜の木を今年の春に見たのかい、めぐみは。

なんだか、僕の思考は混乱しているようだ」

 

「それにしても今年の春は、めぐみと出会って、すぐに仲良くなって、

たくさんの 桜の見て歩いたよね。めぐみは、桜の木が特別に好きなん

だね。今年はめぐみと ウォーキングもたくさんしたね。毎日が楽しい

思い出ばかりだった 」

 

 と、そんなことを私の隣りで身体を合わせるようにして寝ている

めぐみに静かに私は話していた。めぐみの身体(からだ)のぬくもりや

独特の甘い香り、 長い髪の感触に 、これ以上はないという幸せを

私は感じていたのであったが・・・。いままでは一度もなかった奇妙な

不安が私を静かにつつんでいた。

 

「和明さん、私なんかに優しくしてくれて、本当にありがとう。

和明さんと、過ごした日々は、わたしも本当に楽しかったわ。

このように会うことができて、いっしょに生活ができて本当に

幸せでした。けれど、 これ以上、和明さんと楽しい時間を過ごすことは、

自然界の 掟(おきて)に違反してしまうのです。掟というよりは、

自然界の法則とか規則といったほうがわかりやすいかもしれません。

むずかしいことをいって、ごめんなさい。とにかく、だから、もう、

お別れをしなければならないのです」

 

「もう残された時間もなくなりました。こんな突然のお別れは、

わたしだって悲しくてたまりません。でもしょうがないことなんです。

これは神聖な自然の掟なんですから。だから、どうか、和明さんも

悲しまないで下さい。そして、いつまでも変わらない優(やさ)しい

和明さんでいてください」

 

「わたしたちの愛は本当だったのですから。そして、わたしたちは、

いつまでも悲しんでいてはいけないのです。また新(あら)たな

生命の旅を続けるのですから。悲しまないでください、和明さん。

きっと私たちは、またどこかで出会ってまた幸せに結ばれます。

わたしたちの命や心は永遠なのですから。本当なんですよ。

わたしたちの命や心は永遠の存在なのです。人は、それをよく

知らないのです。・・・こんな、わがままな、わたしに優しくして

くださって、本当に ありがとうございました。さようなら、和明さん 」

 

「え、めぐみ。それは、どういうことなの。まさか君は、あの桜の

樹(き)・・・」と 私は 直感的に つぶやいた。

 

 起きあがろうとするが、深い夢の世界にいるようで、私はまったく

現実の世界には戻れなかった。

 

 翌朝、日の光に目覚めた私の隣(となり)に、めぐみはいなかった。

 

 たったいま、舞(ま)って散(ち)ったように、桜の花びらが、

みぐみがいつも洗ってくれていた白いシーツを淡いピンクに染めていた。

 

 私の目には涙があふれた。いまも部屋には、私の大好きなめぐみの

 香(かお)りだけが、いつまでも消えることなく残っている。

 

                         (了)