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     Re : 駅      (400字原稿×8枚) 2006年3月12日制作

 

 

 

  見覚(みおぼ)えのある レインコート

 

  黄昏(たそがれ)の駅で 胸が震(ふる)えた

    

             

        (竹内まりやさんの作詞・作曲の『駅』より)

 

 

  

 

 運もよく冷たい風のない、春らしいうららかな一日であった。

 

 その日は、雑誌・編集部の、最後の取材の仕事だった。

 

 4月からは念願の学芸部で仕事ができることになった。

 

 文芸部は面接の時からの希望の仕事だった。

 

 若者向けの雑誌の編集も楽しいのだが、もっと緊張感

を持って、言葉の最前線で仕事がしたかった。

 

 4月からの文芸第一出版部では、作家や装丁家(そうていか)との

関(かか)わりが多くなる。

 

 その日の雑誌の取材の仕事は、『2006年大学の歩き方』という

現代キャンパスの紹介で、

母校の教授や学生たちへのインタビュー

アンケートというの企画だった。

 

 母校を訪れるのも二年ぶりであった。

 

 音楽サークル部の学生たちからは思いもしなかった歓迎を受けた。

 

 わたしはロックバンドで、けっしてうまくはなかったが、

ベースギターをやっていた。

 

 ひさびさに取材をかねてお会いした恩師の文学部の

教授とは、本や哲学の話で盛り上がった。

 

 午後の4時過ぎには取材が終わった。わたしは学生だったころのように、

キャンパスの芝生に寝転んで、街路樹や空を眺めて、

初春のしずかな陽を浴びた。

 

 学生のころは、木漏れ日(こもれび)と戯(たわむ)れているだけで

どこか幸せな気分になれたものだ。

 

 黄昏(たそがれ)の陽の光に、色を変えてゆくキャンパスや街の風景は、

あの頃のままだった。

 

 しかし、わたしの心には、そこはかとない、ものうい哀愁がよぎる。

 

 ふと、春愁(しゅんしゅう)、そんな俳句の季語が浮かんだ。

 

 歩いて10分ほどの駅までの道には商店や飲食店が密集している。

 

 駅のホームは帰宅途中の学生や会社勤めの人たちが増え始めていた。

 

 電車を待つ間、小型のデジカメで撮ったばかりの学生たちや恩師

との写真を眺めていた。

 

 そのとき、わたしの右横を、若い女性が通り過ぎていった。

 

 中ヒールの白いパンプスを履(は)いたギャザーの

あるフレア・スカートの女性。

 

 見覚えのある後姿(うしろすがた)・・・。

 

 肩まである長い髪のその女性は、思い出すこともためらっていた

あのひとだった。

 

 彼女がこの沿線に住んでいることは知っていたから、

心のどこかで出会うかもしれないという予感はあったのだが、

まさか本当に出会ってしまうとは思わなかった。

 

 わたしも彼女も同じ文学部だった。お互いに大学1年の時に、

本や小説や詩などの話題で、すぐに仲良くなった。

 

 彼女は歌がうまかった。

 

 ある日、二人で、音楽サークルの部室をのぞいた。

 

 廊下を歩いているとビートルズのゲット・バックを

演奏しているのが聴(き)こえてきたからだ。

 

 メンバーを募集中で、話はどんどん進み、その日から、

音楽サークルに入り、ロックバンドのメンバーになることになった。

 

彼女は歌がうまく、キーボードも弾(ひ)けた。

わたしは手にしたこともなかったベースギターを始めた。 

 

「わたし、ベースの音って大好きだわ。リズムも正確で、ドラムスと息も

ぴったり・・・。もう立派なベーシストって感じ・・・」

 

 ある日、いつものさわやかな笑顔で彼女はそう言ってくれた。

 

 わたしはベースギターの全(まった)くの初心者だったけど、

電子メトロノームを使ったりして特訓をしたのだ。

 

 いま思えば、できるだけ彼女と一緒に時間を過ごしたくて

ロックバンドをしていたようなものであった。

 

「おれって、将来は、出版社にでも就職して、コツコツと小説でも書いて、

いつかは小説家にでもなれたらいいな、なんて思うんだけどね」

 

「そうね、詩や小説が好きなんだから、そっちのほうが向(む)いている

のかもね。夢を大切にしている人って、わたしは大好き・・・」

 

 いつも彼女は澄んだ目をして真剣に話を聞いてくれた。

 

 そんな楽しい会話をしながら、二人の愛は永遠に続くように感じていた。

 

 しかし、幸せすぎるということは、甘美な夢を見ているのに似て、

現実の中では、儚(はかな)く、

壊(こわ)れやすいということなのかもしれない。

 

 彼女は音楽サークルの中では注目の女性だった。

 

 ほのぼのとした容姿というのだろうか、

彼女の雰囲気は、周囲をいつも明るくした。

 

 わたし以外の男が、彼女に特別の好意を寄せることは自然なことであった。

そんな心配が現実化したのだった。

 

 音楽サークルでは、いくつかのロックやヒップホップやフォークの

グループが交流や活動をしていた。

 

 その中の、あるロックバンドのヴォーカルをしているリーダーが、

彼女に恋をしたのだ。

 

 困(こま)ったことに、その男は、わたしの友人であった。

彼は陽気で、みんなの信頼もあつかった。

 

 エリック・クラプトンの『レイラ』とかを、アコースティックギターで

彼はよく歌っていた。そんなブルース系の歌は、わたしも好きだった。

このごろはモーツァルトとかを聴いているのだけど。

 

 人は恋する気持ちを打ち消すことはできない。

 

 やがて、彼は彼女にその気持ちを告白した。

 

 そしてある日、わたしはそのことを知った。

 

 『事実は小説より奇なり』とはよく言ったものだ。

 

 わたしたちの恋愛はまるでドラマのように、三角関係どころか

四角関係ともいえる複雑な形になっていった。

 

 あの頃のわたしたちは、まるで恋する季節の中であった。

 

 そんな恋する季節に、今度は、彼女とも親しい女子学生が、

わたしに好意を持っていると告白してきたのだ。

 

 もっとも大切にしていたはずの、わたしと彼女との

愛と信頼の絆(きずな)は、日に日に傷ついた。

 

 スタンダールの恋愛論にこんな言葉があった。

 

『恋は甘い花である。しかし、それをつむには、

おそろしい断崖(だんがい)の端(はし)まで

行く勇気がなければならない。』

 

 ・・・わたしには、甘い恋を守り抜いてゆく、

強い心・・・そんな勇気が足りなかった・・・。

 

 

 ホームに電車が到着して、わたしは彼女に見つからないように、

乗客たちの影に隠れて、同じ車両に乗った。

 

 隅(すみ)のシートに坐(すわ)った彼女は、文庫本を読み始めた。

 

 わたしと同じで本が好きなのは彼女も2年前と変わらない。

元気そうなことがうれしかった。

 

 乗客の影に隠れて話しかけることもできない自分が情けなかった。

 

 いまも彼女を愛していることをしみじみと感じていた。

 

 目頭が熱くなっていった。

 

 大学時代の友人から、彼女が結婚したことは聞いていた。

そして住所も知っている。

 

 何度か駅に停車して、彼女の住む町の駅に到着した。

 

 彼女が降りる時、思わず、用はないのに、わたしも降りてしまった。

 

 彼女は人波の中、改札口を出てゆく。

 

 もう抱きしめることもない彼女の細い肩が、遠ざかり消えてゆくのを、

ただ見つめてるばかりだった。

 

 いまのわたしには、あなたに出会えたことの歓びと、

後悔の気持ちがいっぱいだ。

 

 あなたと出会えた運命や何かに感謝したい。

 

 あなたとの日々。あなたとの愛。

 

 あなたのいない、わたしの人生なんて今も考えられない。

 

 あのとき、わたしがあんな嫉妬(しっと)をしていなかったなら。

 

 わたしに、もっと、しっかりとした抱擁力(ほうようりょく)があったのなら、

ふたりは、あんなに傷つくことはなかった。

 

 いまでもわたしは、あなたとの夢を見る。

 

 その夢は、時には幸せな夢で、時には哀しい夢だ。

 

「わたしは、だいじょうぶ。思い出だけでも、生きてゆけるから」

 

 最後の電話で、あなたはそう言った。思い出だけで生きてゆけるなんて。

あのときは、あなたの言葉が理解できなかった。

 

 あなたに語るべき言葉が、わたしには見つからなかった。

 

 人は、大切な思い出を胸に、思い出とともに生きてゆく。

新しい日々や、夢や希望や幸福に向かって・・・。

 

 

  (おわり)

 

 

◇注釈

 

☆パンプス【pumps】=

    ひもや留め金・ベルトなどを用いない、甲の部分が浅く、

    広くカットされた婦人靴の総称。本来は舞踏用。

☆フレア-スカート 〔flared skirt〕

   すそが広がって波打っているような形のスカート。

☆ギャザー【gather】 =

   布を縫い縮めて寄せるひだ。

☆ギャザー-スカート 〔gathered skirt〕=

   胴回りにギャザーを寄せたスカート。

メトロノーム【(ドイツ)Metronom】=

  楽曲のテンポを示す器械。振り子の原理を応用して

  拍子を刻む装置で、一八一六年にドイツ人の

  J=N=メルツェルが特許を得たのち普及した。

  現在では電子式のものもある。拍節器。

 

 ◇竹内まりや さんの オフィシャルサイト

http://www.smile-co.co.jp/mariya/