リアリティについての明確な定義した養老氏のこの発言以上の、
優れたリアリティの定義を私(Z)はほかに知りません。
2003年の流行語大賞の『バカの壁』の著者 養老孟司(ようろう
たけし)氏の、宮崎アニメについてのお話が、アート(芸術)論と
しても、芸術文化の活性化の方向を決定し予見させるほどに優れている
と、私には思える。
(聞き手)
「私たちは 夢の中で現実では想像つかないようなスケール感やスピード
感を体験する
ことがありますが、まさに宮崎さんの世界には 自分がそうやって現実
から解き放たれた
ときの感覚を思い出させてくれるような ところがあるように思います」
と、こんな聞き手に対して、養老さんは語る。
(養老氏)
「そうですね。しかも まったく無理がない。作り物という感じが 全く
しないんです。
でも僕はそれが当たり前だと思います。宮崎さん流にいえば『あって
いいんじゃないかよ』
って。本来それをリアリティというんです。だから当たり前でないと思う
ならば、それはアートが外(はず)れすぎたんですね。
リアリティについて 古い言葉でいえば、真善美なんです。より本当で
より正しくてより美しい。
それがリアリティの意味です。第1、リアル(real)は 現実という意味
ですから、その現実(real)を
抽象名詞にした リアリティ(reality)って どういう意味なの?って、
僕は 学生に よく聞くんですよ。
現実という言葉の 抽象名詞の リアリティって、一体なんでしょうって
(笑)そんなのは
おかしな名詞であって、実は リアリティを 現実性とか そういうふうに
訳したから おかしくなってしまうわけです。
具体的に訳すなら、
真善美と訳したほうがいい。人は本当のもの、正しいもの、美しいものに
惹(ひ)きつけられる。
それをリアリティというんです。だから 現実(=リアル=real)に 対照
する英語は
アクチュアリティ(actually)、日本語では 日常性ということになるん
ですが、
そこのところをなかなか 気づかないで混同しています。
そうなってしまうのは 現代が 素朴実在論( 外界が 意識から独立に
存在している
と見る 日常実践の立場 )が 非常に強い世界だからなんですが、どういう
意味かというと、
物体は 確実に 存在しているが、後(あと)は 抽象だと思っている。特に
科学をやっている人たちは
そう思っています。けれども、よく考えてみると 現実なんてありはしない。
なぜかというと
すべては 脳が 把握していることであるから。だから 僕は 唯脳論を
唱(とな)えています。
要するに 脳に映ってこなければ 何もないことになる。しかも、もっと
極端に、脳は
何があるもので 何がないものかということを勝手に決めているのです。
それを現実感と僕は呼んでいます。
つまり誰だって 物体の存在は 否定しませんが、それはどうしてかという
と、脳は 絶えず
自分の中を 動いているものに対して 現実感を与えるという癖(くせ)が
あるからなんです。
だから物体とは何か ということを 脳から定義すると 非常に簡単で、
人間の感覚は
五感しかありませんから、ある対象が 五感のすべてに 訴えかけるときに
それを物体というわけです。
つまり、目で見て、音でとらえて、感触、嗅覚、味覚でとらえる。
そういうものが物体ということになる。
<中略>
僕は、英語を持ち込んで、五感から入る物体的なものを、アクチュア
リティ(actually=日常性)と呼んで、
それ以外のものをリアリティと呼んだほうがいいと思います。
ですから想像的な世界も リアリティであり、宮崎アニメは 典型的な
リアリティなのです。
それぞれの脳が、実は『情報』に対する 重み付けなんです。現実という
ことは、重みをつけている
ということなんです。・・・それを具体的に判断できるか、その人が何を
現実と思っているかは、
その人の行動が、それによって影響を受けるものは すべて その人に
とって 現実ということなんです。
だから、僕は、人の数だけ、現実はある と考えます。アニメだから、
御伽噺(おとぎばなし)だから、
それは 作り物でしょうというのは、多分違うんです。それをいうなら、
世界そのものが作り物ということになりますからね」
(聞き手)
「それにしても、この映画は観(み)終わった後、親しい人に『あなた
は観てどうだった』と
語り合いたくなるような映画だと感じました」
(養老氏)
「感性の世界は、そういう面を持っているんです。つまり余韻が残るん
です。
僕らは理屈の商売だから、物事を綺麗に切っていかなければならない。
しかし、
綺麗に切ってしまうと、それ自体は綺麗だけれど、余韻が残らない。
実も蓋(ふた)もない
ということになってしまうんですが、アートの良いところは、そういう
余韻が残るところです。1枚の絵でも、
そこから いろいろなことが 引き起こされてくるでしょう」
以上の、大変貴重な、養老さんの お話は、『千と千尋の神隠し』を
鑑賞したあとのインタビュー記事でした。
多少は難解ですが、さすが東京大学の名誉教授、日本の最高峰の知性の
お話で、理路整然として
僕には、芸術(アート)のリアリティとは何か、その価値とは何か、そんな
難問に、1つの説得力のある答えを 提示してくれている気がします。
もっとも、信頼している科学でさえ「暫定的な答えであり、未来にはその
変更もありえる」といわれていますから、絶対的な
真理などは、人間には なかなか、わからないのかもしれません。
養老氏が説く『唯脳論』について、氏が語る若干の文章をご紹介します。
「人間は生まれてから死ぬまで、常に変わっていく。『変わらない私』を
前提とした
西欧近代自我は、脳=意識が生み出したフィクション(つくりごと)に
過ぎない。
わたしが書こうとした そのことは、『諸行無常』という短い言葉の中に
すでに 言い尽くされています。
あるいは無我というのも同じ意味でしょう。私が書いたものが、お経に、
近づいていったのは、
日本語を使って書いたからでしょう。日本語の抽象的な語彙の多くは、
もともと
経典から出ています。『意識』『心』『愛』『自由』『時間』といった
言葉は すべて、梵(ぼん)語を
訳したものです。みなさん、あまりご存知ありませんが、仏教は相当
高度な抽象思考を持っているんですよ。」
【資料】
キネ旬ムック『千と千尋の神隠し』を読む40の目 キネマ旬報社
仏教入門特集 文芸春秋 2004年 4月号
11.夏目漱石が探求した『普遍性』つまり『リアリティ』について
吉本隆明氏が語る。夏目漱石の志を書簡に読む。
吉本氏は、夏目漱石の全集を5,6回は読み返したという。
氏の下記のお話を聴くと、私(Z)も
漱石も、真のリアリティを求めて、格闘していた 巨匠だったと思う。
「ぼくの知り合いで、欧米白人と結婚した女性がいます。話の折に、
『むこうの男は そんなに いいかね』
なんて無遠慮に訊(き)くと、こんな答えが返ってきた。
『むこうの男が、
日本の男と比べて、とくに素敵とは思わない。でも、1つだけ、
逆立ちしても
かなわないなと思うことがある。それは普遍性というものへの確信よ』
普遍性への確信というのは、文化の違い、人種の違いを超えて、
人間のあり方としての
共通性を信じるということです。そういう信仰にもとづいて、
文化も創造するし、恋愛もする。
それは日本の現実とは ほど遠いものだというのです。
普遍性への信仰は、裏腹に、特殊性への蔑(さげす)みをともないま
す。西欧のインテリと話をしていると、
なんだ、こいつ、ものわかりのいい顔したって、一皮むけば、日本人を
野蛮な者としか見ていないじゃないか。
そう感じさせられて鼻白むことが、しばしばあります。
漱石が英国で直面したのは、そういう世界でした。
漱石はロンドンで、『普遍性』という相手の土俵に立ち、自分を相対化し
、返す刀で 相手をも相対化するような、
熾烈な本質追求を試みたのです。これは大変な作業です。独(ひと)りで
背負うには、荷が重過ぎる。
だから、いっぱい背負って、いっぱいわからなくなった。いっぱい
わからなくなっても
なりふりかまわず、進んでいったのです。その姿は、傍(はた)からは、
発狂した、と見えた。
その七転八倒の軌跡が、『文学論』です。」
○書簡から
明治39年10月26日付、生徒の鈴木三重吉(みえきち)への書簡から
「僕は一面に於(お)いて、俳諧(はいかい)的文学に出入りすると
同時に、一面に於(お)いて死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な
維新の志士の如(ごと)き精神で文学をやりたい。
それでないと、なんだか難(なん)を捨(す)てて、易(い)につき
劇(げき)を厭(いと)ふて、閑(かん=暇ひま、無事)に走る
所謂(いわゆる)腰抜け文学者の様な気がしてならん」
明治39年11月16日付、編集者の滝田樗陰(ちょいん)への書簡から。
「後世(こうせい)に残る残らんは、当人たる僕の力で左右する
訳(わけ)には行(い)かぬ。しかし、いやしくも文筆を持って
世に立つ以上は其(その)覚悟である。」
【資料】文芸春秋 平成16年12月 臨時増刊号
12.直木賞作家の江國 香織さんが リアリティについて語る。
『東京タワー』など、たくさんの恋愛小説の書き手、2004年の直木賞
受賞の 江國 香織さんは、エッセイ集の『泣かない子供』で、
『 なぜ書くか 』の中で、リアリティについて語っている。
「 人が どう見ているかは ともかくとして、私は いつも リアルなもの
を書いていたいのだ。
リアルじゃないと 小説は つまらないと思う。私に とってあらゆる 小説
はファンタジーなのだ。
ファンタジーというのは 河合隼雄さんの 言うところの『 たましいの
現実 』であり、
それが私にとっての リアリティーだと思っている。したがって、それは
『 ありそうなこと 』か どうか、
あるいは『 たくさんの人が さもありなんと うなずくこと 』かどうか、
と なんの関係もない。
そういうのは 錯覚( しかも みんなが 一っぺんにする錯覚 )
だと思う。
リアリティー というのは もっと個人的なものなのだ。そういう 個人的
な真実を信じられなく
なったら おしまいだ。他に 信じられるものなんて 何もない。と
少なくとも 私は 信じている 」
このくらいの 確信というか思い入れがないと、江國さんの ような
優れた作品は書けないとも思う。
(といっても、まだ、あまり作品を拝読していませんが)
虚構を《 虚構としての 現実》として楽しむことが、人生や心を豊かに
するのだと、私(Z)も強く同感します。
13.スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫(としお)氏の言葉。
「宮崎アニメのヒットの秘密は、プロデューサーの鈴木敏夫の人材活用術」
というNHKの『プロフェッショナル』の放送がおもしろかった。
宮崎アニメが、どれだけ人気があるかというのが、数字で見ればわかる。
日本の映画の歴代興行収入では、『千と千尋の神隠し』が、興行収入
304億円、観客動員2300万人でトップ(1位)という金字塔を打ち
立てている。2位が『タイタニック』で260億円、3位が『ハリー・
ポッターと賢者の石』で203億円、4位が『ハウルの城』で196億円、
5位が『もののけ姫』で193億円で、なんとベスト5に、宮崎アニメが
3つも入っているのです。(^^;)
そのすべてに、鈴木氏はプロデューサー(producer=制作責任者)と
して深く関わっている。
その仕事は、映画の企画から、予算調達、人集め、スケジュール管理、
宣伝・戦略まで、いわば映画の始まりから終りまで、すべての責任を
負(お)う、その責任者です。
『千と千尋の神隠し』で、「少女が、生きる力に目覚めていく物語に
しよう」と提案したのもスタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫
(としお)氏(57)だった。
鈴木氏のもとでは約千人の人たちが動くのだそうだ。それぞれの人を
『やる気』にし、その力を最大限に引き出すそうで、鈴木マジックと
呼ばれているそうだ。
「(作品は)やっぱり楽しいものにしなければいけないんだよ。
そのためにはまず第一に自分が楽しまければいけないわけよ」
鈴木氏には、大切にしている流儀があるそうだ。「仕事を仕事じゃなく
するのが得意なんですよ、おれ。仕事だと思っていると、やってられ
ないもん。ばかばかしくて。でしょう」と語る鈴木氏。仕事を、みんなで
楽しむ『祭り』変えるのだそうだ。
鈴木氏が手がける映画の予算は数十億円。ひとつ判断を誤(あやま)れば、
巨額の損失を生む。その仕事には、猛烈な重圧は鈴木にのしかかる。
そんな鈴木氏が心に決めていることがある。それは「自分は信じない。
人を信じる」ということ。「自分を信用してない。自分を信用しては
いけないと思っている。1人の人間が考えることっていうのは、たか
だか知れているという考えなんですよ。これ、誰であっても」と
真剣な眼差しで語った。
目を輝かせる子どものように、すてきな笑顔の鈴木氏だった。
以上、NHKの『プロフェッショナル』(2006年4月6日放送)より
14.米国の作家のレイモンド・カーヴァーの『書くことについて』
作家の村上春樹がほとんどレイモンド・カーヴァーの翻訳や紹介をして
いる。そのカーヴァーが『書くことについて(オン・ライティング)』
という本(残念ながら絶版です)を書いているそうだ。
その本を中条省平氏が『小説の解剖学』という本で紹介しているのだが、
その内容は、作家に限らず、創作を目指す人には、勇気のわくような
言葉だと思った。以下は『小説の解剖学』から。
「作家は命がけの商売で、常に自分は明日から書けなくなるんじゃないか
という強迫観念と闘いながら生きている存在です。レイモンド・カーヴァー
の書くことについて(オン・ライティング)』には、そういう作家たちが
どんなふうに危機を乗り越えるかという具体的なケースが書いてあって、
とても面白(おもしろ)い。
カーヴァー自身が例を挙げているんですが、『アイザック・ディーネセン
はこう言った。私は、希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます。
と』。これは三島由紀夫タイプですね。エクササイズ(=練習、運動)
として毎日ちょっとずつ書くことが必要です。(中略)
基本的に一字一句きっちりと書くことからしか小説は生まれません。
そして、希望もなく絶望もなく、というのは、作家がものを見つめるため
には、ものすごく高揚していても見きれないし、まったく落ち込んでいても
見きれないということです。
『いつか私はその言葉を小さなカードに書いて、机の壁の横に貼っておこう
と思う。壁にはいま何枚かのカードが貼ってある。《基本的な正確さを
持って記述すること。それこそが文章を書くことにおける唯一のモラリティー
[morality=道徳性、倫理性、教訓など] である》』。
この言葉はエズラ・パウンドのものですが、非常に重要なことです。それだけ
が唯一のモラルです。」
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【資料】(敬称略)
『作家養成講座』 若桜木 虔(わかさきけん) KKベストセラーズ
『芥川龍之介の復活』 関口安義・著 洋々社
『芥川龍之介・その生涯と文学』 山梨日日新聞(1991年9月25日版)
『文豪ナビ・芥川龍之介』 新潮文庫
『芥川龍之介』 関口安義・著 岩波新書
『小説の自由』 保坂和志・著 新潮社
『書きあぐねている人のための小説入門』 保坂和志・著 草思社
『坂口安吾全集・14』 ちくま文庫
『そうだ、村上さんに聞いてみよう』 村上春樹・著 朝日新聞社
『人生読本・第6巻・小林秀雄』 佐古純一郎・編 角川書店
『日本論』 坂口安吾 河出文庫
『小説の解剖学』 中条省平 ちくま文庫
『作家の値うち』 福田和也 飛鳥新社
『サライ・夏目漱石』 2005年6月2日号
『対談集・作家はなぜ書くか』 安岡章太郎
『文学とは何か』 加藤周一 角川新書 角川書店
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☆メルマガ 詩と 散文の 広場 の 詳細説明ページURL
http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=tankyuu
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