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 遥かなる美の国   Z(ぜっと)

 

 

思考力や集中力のピント(焦点)の合わないような

なんとなく憂鬱(ゆううつ)な日々が一月ばかり続いた。

 

ふと『遥かなる美の国』という小説の題名を思い出した。

小説の内容もはっきりしないけど、その題名が好きだった。

 

ぼくは最近、つくづく、『美』には、人間の魂や心や人生を、

永遠に救い、守護してくれる、偉大な力があると思えてなりません。

 

ぼくたちが生きているということは、つまりこの人生というものは、

『遥かなる美の国』への、永遠に続く、魂の旅なのだと思えるのです。

 

みなさまは、どのようにお考えになりますか。

 

『遥かなる美の国』を書いた高橋和巳氏は、1960年代の代表的な作家

であった。1967年に京都大学、中国文学の助教授となり

1969年の京大闘争では全共闘支持を表明したという。

あの当時は若者たちを中心に何が正義かを模索した時代だったのか。

高橋氏も正しい観念や思想を大切にして探し求めていたのだろうか。

 

あの時代の一部の人たちは、マルクス主義などのイデオロギー

(思想の体系)が社会や人を良くする正義と信じていたようだ。

 

現在は、どこに正義があり悪があるのか、何を信じたら良いのかと、

人の価値観や個性も多様化が進み、混迷の時代といった様相を感じる。

しかし、自由の本質とは、こんな混沌な状況や姿のことかもしれない。

 

いつの時代も人々は、美しいものを求めて、そこに価値を見つける。

その美意識は、人それぞれに多様であり、人生の大きな憩いであろう。

 

「快適で、安楽で、美しく、静謐(せいひつ)で、楽しく、また洗練と

成長のある空間。そういう『聖域(せいいき)』を作り出し、そこで

精神を思い切り遊ばせることが、贅沢の本質なのだ。(中略)

贅沢を楽しむというのは、美意識がなくてはできない。」

(福田和也氏の言葉から)

 

・・・「美」について考えることは、意外と難しいことです。

 

「主観が主観に直接問いたずねること、また精神の自己反省は

危険なことである。」(ニーチェの言葉から)

 

・・・あなたは、どんな美しさを大切にしていますか。

 

「美しいものは諸君を黙(だま)らせます。美には、人を沈黙させる力が

あるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。

(中略)

美しいと思うことは、物の美しさを感じることです。

美を求める心とは、物の美しさを求める心です。

(中略)

一輪の花の美しさをよくよく感ずるということは

むずかしいことだ。かりにそれはやさしいことだとしても、

人間の美しさ、りっぱさを感ずることは、

やさしいことではありますまい。」(小林秀雄氏の言葉より)

 

・・・本当は、「美」の力のすばらしさを人々に伝えることが、

芸術や宗教や政治や経済の役目であり目的なのだと思えてくる。

 

ロシアの文豪、ドストエフスキーの『白痴(はくち)』は、

哀愁あふれる一種の恋愛小説で、「美」を重要なテーマとしています。

 

高橋和巳氏が心酔していた戦後文学の埴谷雄高氏は、ドストエフスキー

への傾倒や、その天才的な洞察力の深さなどを書きあらわしている。

 

「アグラーヤの妹のアデライーダは、ナスターシャの写真を見て、

『こういう美は力ですわ。こんな美があったら、世界じゅうを

ひっくり返すことができるわ!』といった。またムイシュキン公爵も

『美は世界を救う』という思想を表白(ひょうはく)している。」

(米川正夫氏の言葉から)

 

・・・『遙かなる美の国』は、1971年に執筆された、高橋和巳氏の

未完に終った遺稿の題名でした。

 

・・・あの熱病のような時代の風にさらされることがなければ、

心優しい詩人の資質を持っていたはずの高橋氏には、きっと、

もっと明るく楽しく美しい人生を選択できたはずであっただろう。

『遙かなる美の国』という言葉には

高橋氏のそんな希求がこめられているような気がしてきます。

 

「苦悩に満ちた自己否定を重ねていた全共闘運動に、時代は熱っぽく

昂揚(こうよう)していた。『その政治抗争の見事な網の目にくりこまれ

ていること』に懐疑し、困惑しながらも、《若き全共闘のアイドル》たる

高橋和巳は、だが、その受難と疲労の中で、己(おのれ)を最後の最後ま

で潔(いさぎよ)く律(りっ)し、傲然(ごうぜん)と咲き誇るべき志あ

る《壮士(そうし)》そのものであろうとしていた。

・・・高橋和巳、1971年(昭和46年)5月3日、逝去(せいきょ)。

享年(きょうねん)39歳であった。」

(大田代志朗氏の言葉より)

 

 

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【資料】

価値ある人生のために・福田和也氏著

人生論読本・小林秀雄氏著・角川書店

ドストエフスキー研究・米川正夫氏著・河出書房新社

内省と遡行・柄谷行人氏著・講談社学術文庫

高橋和巳短編集・高橋和巳著・阿部出版

 

(注釈)

表白=表わし述べること。

傲然=おごり高ぶって尊大に振る舞うさま。

壮士=血気(けっき)盛んな若者。壮年の男子。