中編小説『雲は遠くて』のトップページへもどる

 

(1)

 

 激しい雨は、夜をとおして形あるものをことごとく打ちつづけた。

 

 けれど、明けがたには強い風が吹きあれて、黒く深い闇はひびわれていった。

たちまち無限の力を秘めた光の世界がひらけた。光は無数に散って、広く輝き、

地上を射した。にごった黒い雲はみるみるうちに薄れ、東の空が鮮やかに燃えた。

それまで闇にとけていた山々の新緑が明るくゆれた。時折、狂おしそうな速度を

つけた風が、野や谷や山々のなかを吹いた。盆地の上空は気まぐれだった。

よく不意に激変した。

 

 夏が近かった。町は、なだらかな山並に囲まれていた。遠方には八ヶ岳

(やつがたけ)がそびえていた。頂(いただき)の輪郭のかすむ富士も望(のぞ)めた。

都心からなら2時間たらずの列車で来(こ)れた。夏になると多くの人びとが

この土地を訪れた。旅する人の目もとは、ゆたかな自然や新鮮な空気にふれて、

かすかな生の充溢(じゅういつ)にほころびる。

 

 町の中心にある大きな駅は、高架された線路とともにコンクリートで堅牢に

つくられてあった。虚飾がなく簡素な白い重量感にあふれていた。駅の付近には

規模の小さな繁華街があった。不規則に走る道路に沿って商店街や飲食店がならんでいた。

バスステーション近くの駅前にある小さな広場には、人の心を和(やわ)らげる噴水があった。

サッカーに熱中する精悍な若者のブロンズ像が中央に置かれて、

町の未来を明るく示唆しているようだった。